低酸素脳症 男性


この日は雪が降り積もった朝でした。子供たちのアルバム作りを始め、懐かしそうに幼かった写真を見ては笑っていた本当に子煩悩な父親でした。ごくごく普通の時間を過ごしていた中、突然起きた事でした。今までの普通な時の流れがどんなにか大切であったかをこれから身に染みて感じることとなりました。

急性心筋梗塞発症、本当に奇跡的に一命は取り留めたもの、診断書に記載された高次脳機能障害という全く耳にしたことのない後遺症名を目にしました。障害についての説明は一切なく、不安な日々が続きました。適切なリハビリを受けられるものだと信じ込んでいました。そして私たち家族は「回復」ということしか考えていませんでした。

後遺症により、言語での疎通が全く出来ず、知的面ではかなりのダメージを 受けていました。その為、医療の意味がわからず全て抵抗し、大声奇声となる。 そんな中、ようやく決まった転院先では、リハビリが成り立たないという理由で1日程度で退院。再度、救急病院へと戻りました。

子供たちはまるで変わってしまった父親を子供たちなりに回復を信じて力を貸してくれていたのですが、一向によくならない父親の存在に戸惑いを覚え始めました。 病院からは家庭に帰ることだけを強く勧められました。それは共にあきらめて帰りなさいというようにしか思えませんでした。今までの主人を思うとなんとかリハビリをという想いで、必死に探しました。あきらめの中、最後の望みを託し、高次脳機能障害者を診て頂けるという病院に受診依頼をした所、信じられないのですが入院の了承が得られました。もう診て下さるリハビリ病院も精神科の病院でも難しいという病院側からの説明でしたので本当に嬉しく、また優しくも温かくも感じられる病院との出会いでした。

ここから、人として見てもらえる、理解してもらえるという安心感から本人も家族も落ち着きを取り戻すことが出来ました。リハビリのゴールは社会復帰といいますが、決してゴールは仕事復帰だけではなく、人と関わりながら生活していく復帰もあるのだと思います。 現在までも困難は数知れません。しかし、手を差し出して下さる方々がいる限り、主人にも人としての生活が出来るのです。笑顔が増えたこと、嫌だと声が出せること、それは私たちと同じ、人としての感情です。