脳外傷 男性・小学生(11歳)


【病院での経過】

自転車に乗って横断歩道を渡っているときに、右側からオートバイにぶつかられる。すぐに救急病院に搬送される。意識もなく 手術の適用無しというところ、55時間後に血腫除去手術。1ヶ月の昏睡状態が続く。その後徐々にPT,OT,STが始まる。
5ヵ月後、心身障害児総合医療療育センターに転院。併設の養護学校に通う。
PT,OT,STを受ける。本格的に歩行訓練が始まる。 W/C、長下肢装具、ロフストランドクラッチを使用する。SWより手帳の申請を勧められ、取得する。3ヵ月後の2月に地域の小学校で卒業式をするため一時退院、1ヶ月後に再入院をする。中学も引続き養護学校に通う。
1学期終了時点で退院を申し出る。その後は1回/W PT,ST,OTに通う。痙攣止めの薬については一度も発作を起こしていないということで、医師は賛成しなかったが中止する。幸いその後も発作は起きなかった。1年訓練に通ったが、遠いためもとの救急病院の外来での訓練(ST)に2年間 通う。その後高校入学と同時にリハビリは終了する。

【復学における経過】

心身障害児総合医療療育センター併設の養護学校中等部から地域の中学校へ。
教育委員会には養護学校を言われたが、直接地元の中学へ行き「是非とも」と言って交渉する。中学校からは特別な配慮はできないということで、受け入れ許可を得る。担任の理解には差があるが、概ね生活は順調であった。勉強に関しては、覚えられない、動作がスムースにできない等により困難を極める。小学校からの友人関係もだんだん希薄になっていく。
高校は養護学校の高等部を見学に行くが、本人が拒否、夜間高校へは家族も不安に感じ、他の選択肢がないものかと探す。その結果通信制高校にて卒業資格を取得するため、サブスクール(不登校児などを対象にした学校)に通うことにした。先生も友人関係ものんびりとしていた。次に趣味を生かして美術の専門学校へ2年、研究科2年の4年間は絵を書いて過ごす。22歳になる。

【福祉作業所への経過】

専門学校時に障害者のハローワークに登録。合同面接会に参加するが、募集要項にはPC(キャド)、電話応対等できそうにないことばかりが書かれている。区の福祉課の紹介で区内の福祉作業所(知的、身体)を見学するが、本人は雰囲気に圧倒され、行きたくないと言う。次に区外の福祉作業所へ見学、そこは身体、知的、精神障害のいろいろな方がおられたので、何となくと通えそうに感じ(親も)、現在も通所継続中。この間支援費制度がスタートするが、継続的に利用する資源がないため支援費制度の対象にはならないと言われる。

【今後の課題】

親亡き後の長い人生がある、低年齢時に高次脳機能障害になった者に対する就労支援の体制作りを。また自立支援法がスタートすることで、今通っている作業所がどうなるのか見透しがつかない状況にある。当人の障害に対する認識が低いため、親亡き後の生活に大きな不安が常にある。今回スタートした自立支援法における利用可能なサービス資源の拡充なしには、高次脳機能障害者の自立生活は望めない。これまで発作等のトラブルがないため、退院後病院との関係が途切れているので、今後のことを考え、病院との関係の復活を考えているところである。